横浜・Dマンション事件・マンションが崩壊する!

『はじめに』某不動産のマンションは築15年を経た84世帯のマンションである。1985年(昭和60年)11月に長期修繕計画立案のため、関東集合住宅保全センター(現集住機構)に建物診断を依頼したことからとんでもない瑕疵問題へと発展した。
某不動産のマンションでは、管理会社への管理に対する不満から、建って2年後には既に管理組合の母体が設立されている。この時点では、まだ管理組合なるものの概念が市民権を得ておらず、居住者の80%が参加した協議会であり管理会社への交渉組織でしかなかった。まして、組織名に「組合」の文字がつくことすら労働組合運動と同一視され拒否されるような認識の時代であった。
正式に管理組合として発足し、同時に完全自主管理に移行したのはずっと後の1984年(昭和59年)、現在の区分所有法施行と同時である。某不動産の管理組合は自主管理が軌道に乗り始め、次の課題として長期修繕計画の立案に取り組んでいた。そのために、建物診断を当時設立されたばかりの保全相談センターに依頼したが、現場調査を進めていくうちに「擁壁が倒れてきており、スラブ(コンクリートの床駆体)が下がっている」という、大変な問題が発覚したのである。

【活動の出発点】
『●沈黙』
居住者は、床の上をボールが転がり、横縞の壁紙を貼ると天井に接した部分の真中の縞がなくなったりして天井や床が平らではないと気づいてはいたが、仕上げ施工の悪さだとしか考えていなかった。擁壁については倒れてきているのは知っていたのでさほど驚きはしなかったが、スラブの問題はパニックを引き起こした。擁壁の補強工事はそこそこの経費でできると考えられるし、もし、販売した不動産会社が負担を拒否してもなんとかなると思っていたが、スラブの問題は全く別である。
はたして問題解決の方法があるのか?補強をするとすれば、全戸の引越しが必要であることは素人でも想像できる。それよりもこんな大工事ができるのか?経費負担ができるのか?当時の理事会はこの報告を聞いたとき絶句し途方にくれた。陰鬱な沈黙が支配した。当然である。全く資産価値がなくなってしまうのである。転売することもかなわず、仮に一生をこのマンションで過ごすにしても不安の毎日を過ごすことを余儀なくされる。向後の人生までも影響される出来事であった。「忘れよう。黙るよりしかたがない」「早く転売しよう」「いや、闘おう。こんなことが許されるはずがない」、いろいろな思いが脳裏をかすめた。前例に解決案は全くなかった。どうしたらいいのか悩む日々が続いたが、この問題は一切極秘とし理事の家族にも話すことを禁止した。

『●準備』
某不動産は長い間沈黙を続け、その間に詳細な調査を保全相談センターに依頼することを決定した。スラブの配筋状態が透過法によって調べられ、建設当時の建築基準法が調査された。擁壁については、建築時のボーリング調査と擁壁の設計図との相関関係について再検討された。結果は当初のとおり、やはり「黒」であり欠陥がさらに明確になった。次に最大の問題は「法的に闘えるか」であり、「技術的に解決策があるか」、また「某不動産の負担で解決できるか」であった。ここで某不動産は、次のステップとして保全の桐原氏の紹介でT、K弁護士に相談を開始した。
理事会は迷っていた。素人ながら瑕疵についての事項は最大で考えても10年としか該当規定がないと思われたからである。某不動産のマンションは既に14年を経ている。相談の結果も法に明確な定めがあるとの発言は得られなかった。しかし、T弁護士の発言が某不動産の決断を促した。「もし、本件を隠して転売したら、それは詐欺だ。皆さんは見つかるか見つからないかを別にして、社会市民として詐欺の道を選ばれるか、それとも社会的に当然と思われる要求を掲げ闘うか」。私は「しめた」と思った。こうまで言われて「私は詐欺でもかまわない」とはなかなか言えるものではない。それまでは、絶対交戦派と躊躇派とに分かれ、躊躇派を説得しきれずにいたのである。たしかに、「負けたらどうする。弁護士費用はどうする」と言われると、そう簡単には解決案があるわけはない。こうした煮え切れずにいる某不動産を励ましてくれたのが、保全の桐原氏とT・K弁護士であった。「負けたときに皆さん被害者から費用を取るつもりはない。勝って、相手から取る」。
このとき、実はT・S弁護士はボランティアとなってしまうことも覚悟していた。これから必要なのは、管理組合総会での決議と居住者の団結をいかに勝ち取るかである。まさに最大の戦いであった。